名古屋では昔から、手縫いのランドセル作りが盛んでした。
現在ではミシン化が進み、手縫いのランドセルを作っているところは少なくなってきてしまいましたが、萬勇鞄では今でも、名古屋伝統の手縫いでランドセルを仕上げています。
今回はランドセルの歴史、名古屋の手縫いの歴史、萬勇鞄の手縫いへの想いについてご紹介いたします。
ランドセルは日本独特の文化です
ランドセルの歴史の始まりは、なんと江戸時代まで遡ります。
幕末に、背嚢(はいのう)と呼ばれる布製のかばんが輸入され、軍隊で使用されるようになったのが起源だと言われています。
そしてランドセルの発祥とされているのは、明治時代に開校した学習院。
登校時には、徒歩ではなく馬車や人力車で通う子や、使用人に荷物を預ける子など、様々な子供がいました。
ちなみに、服装については当初から制服があり、統一されていたんですよ!
しかし、開校から8年経った後、「学用品は自分の手で持ってくるべき」となり、軍隊用の背嚢(はいのう)が採用されたのです。
背嚢(はいのう)が採用された理由は、背負って両手をあけることができ、荷物を持ち運ぶことが便利だったためです。
当初は今の箱型ではなく、リュックサックのような形をしていました。輸入元だったオランダでは、「ランセル」(背負いカバン)と呼ばれており、それがなまって「ランドセル」になったと言われています。
「ランドセル」の由来は、オランダ語から来ているんですね。
その後、伊藤博文が大正天皇に箱型の通学鞄を献上しました。
これが、現在のランドセルの形の始まりです。
戦前では、皮製ランドセルはとても高級品でした。
そのため、地方や一般庶民の間では風呂敷や布製ショルダーバッグ等が使われていたんですよ。
昭和30年代以降、高度成長期を迎えた頃から、徐々に全国に普及し始めました。
また、イギリスや韓国では日本と同じように背負い式のもの、ロシアやインドでは手提げ式のものなど、国によって様々な通学かばんがあります。
ですが、箱型で背負い式の、いわゆる「ランドセル」は日本独自のものなんです!
海外でも様々な通学鞄がありますが、こんなに頑丈でしっかりしているのは日本のランドセル独特なんです。
最近では、定番の赤・黒以外にもピンクやブルー、ブラウンなどの色が人気で、カラーバリエーションが豊富になりましたよね。
デザインだけでなく、肩に負担のかからない仕組みや、教科書が増えても対応できるような収納力など、6年間安心して使い続けられるように、様々な工夫を凝らしたランドセルが毎年登場しています。
そして、海外でおしゃれアイテムとしてランドセルが取り入れられ、話題になりました。
時代を超えて、多くの子どもたちに使われてきたランドセル。
日本の教育には、ランドセルは欠かせないアイテムですよね。
これからのランドセルがどのように変化し、発展していくのか、私たちも楽しみです。
名古屋の手縫いの歴史
昔の名古屋では馬具を手縫いで作っていました。

実は戦前の名古屋では、戦争の時に兵隊さんが馬に乗るときのために馬具を作っていました。
馬具には足をかける部分があるのですが、足をかける部分はミシンで仕上げると糸がほどけやすい、という欠点がありました。
糸がほどけてしまうと落馬の危険性があります。
ただでさえ危険な戦場で落馬していたら、かなり危険な状態になってしまいますよね。
そこで、馬具の足をかける部分は手縫いで仕上げることにより、
糸がほどけにくい(もし糸がほどけても連鎖してほどけない)、安全な馬具を作っていたようです。
戦後の名古屋では手縫いの技術をかばん作りに応用していました。
戦争が終わると、国民は様々な方法で生計を立てるようになりました。
かばん作り、ランドセル作りもその一つ。
名古屋市民は戦前に培った手縫いの技術を、かばんやランドセル作りにも応用するようになりました。
このときの技術が、現在にも受け継がれているのですね。
ちなみに当時のかばん屋さんは、ランドセル作りのみで生計を立てる、ということはなく、
ランドセルを含め様々なかばんを作っていたようです。
そのうち、時代の流れで子どもがどんどん増えていき、ランドセルの需要がどんどん高まることで、ランドセル作りのみに専念していくかばん屋さんが増えていきました。
もちろん、萬勇鞄もその一つ。そして現在に至るのです。
現在では手縫いのランドセルが少なくなってきています。
昔はランドセルの生産数もそれほど多くなかったため、手作りのランドセルがほとんどでした。
しかし現在では、生産性を上げるためにミシンでのランドセル作りが主流になっています。
名古屋でも、伝統の手縫いのランドセルは減ってきてしまいました。
ちなみに名古屋地区で作られているランドセルは約15万本と言われていますが、
そのうち手縫いのランドセルは約2万本と言われています。
手縫いのランドセルはどんどん貴重なものになってきているんですよ。
萬勇鞄の手縫いに対する想い

ランドセル作りは工程が多く、さらに手縫いをするとなると時間がかかってしまいます。
ですから、生産性を重視するとどうしてもミシンでのランドセル作りが主になっていきます。
しかし、萬勇鞄では現在でも丁寧に手縫いをするようにしています。
他のお店のように大量にランドセルを作る、ということはできませんが、その分想いを込めて一つ一つ手作りをしています。
対面販売が主だったころは、地域のかばん屋さんとして、手縫いのランドセルの良さを直接お客様に伝えることができました。
現在ではインターネットの発達により、全国のお客様に手縫いの良さを伝えることができます。
やはり手縫いには、ミシンにはない良さがたくさんあります。
萬勇鞄ではこれからも、名古屋の伝統を受け継ぎ、ランドセル選びにこだわりを持っているお客様、良いものをお求めのお客様向けに、手縫いのランドセルを作っていきたいと考えています。
そして萬勇鞄のランドセルで、入学から卒業までの学校生活を一緒に過ごすことができたらとても嬉しいなと思っています。
萬勇鞄の手縫いのランドセルが、お子さまにもパパ、ママにも、いつまでも愛され続けるランドセルでいられるように。
これからもこだわってランドセルを作り続けていきます。
ランドセルの起源に関するよくある質問
最後に、ランドセルの期限に関するよくある質問に回答します。
ランドセルの起源はいつ頃ですか?
明治20年に大正天皇が学習院初等科に入学される際、伊藤博文が祝品として献上したのが最新の形状に近いランドセルの始まりとされています。
ランドセルはどのような経緯で学校に導入されましたか?
明治に開校した学習院は「教育の場での平等」という理念から、馬車や人力車を利用した通学を禁止し、学用品を生徒自身が持って登校するための通学鞄としてランドセルを導入しました。
ランドセルの素材は昔から同じですか?
当初、ランドセルの素材は主に天然皮革が使用されていました。 しかし、戦前は皮革製ランドセルが贅沢な品だったので、一般庶民の間では風呂敷や布製ショルダーバッグが主流でした。
昭和30年代以降の高度経済成長期からは、人工皮革も使用されるようになり、より多くの小学生がランドセルを背負うようになりました。
ランドセルの形はどのように変化してきましたか?
ランドセルの形状は、当初リュックサックのような形でした。その後、明治30年には寸法が統一され「学習院型」と呼ばれる箱型ランドセルの基本的な形状ができました。
以来、100年以上経過した現在でも基本的なスタイルは大きく変わっていません。
現代のランドセルメーカーはどのような工夫をしていますか?
ランドセルメーカーはより背負いやすく、安全に使えるように工夫を続けています。
素材の軽量化、耐久性の向上はもちろん、個性を尊重する風潮にあわせて、カラーやデザインのバリエーションも豊富になっています。
ランドセルは海外でも使用されていますか?
海外でも、一部の学校ではランドセルに似た背負式のかばんが使われていますが、ドイツやオランダなどでは日本に比べて素材が質素で軽いものが多いです。
ただ、日本のランドセルは独特の形状や耐久性、文化的な意味合いから海外でも注目を集めています。